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  • 布衣
  • 2022年2月25日
  • 読了時間: 1分

更新日:2022年2月26日



日中に車のなかで音楽を聴いていた信号待ちのときのこと。

好ましく思う一方で画家名も作品のタイトルもすっぽりと記憶から抜け落ちてしまい、

作品そのものだけよく脳内再生していたある店の風景を描いた絵が突如として携帯の画面に、

つぎの瞬間、連絡を取り合っていた方の文に

「何もないけれど何かあった」

というひと言があらわれて驚きました。

それが、その作品を好ましく思う理由だったからです。

エドワード ホッパー [ナイトホークス]、ご存知の方もいらっしゃると思います。


理由や意味がそれを前にすると脆くも崩れ落ちる偶然性や臨場感の出現こそ、

言葉が野暮に思える風景や手触りこそに喫茶の実体があるように思えてならないいま、

何をお伝えして良いのやら。

隔週と言ったのに‥。

呑気で申し訳ないのですが、狂い咲きか立ち枯れか、同じとして咲かない花として、

ぽつりぽつりと書いて参ります。






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